【撮影エピソード7】小名木川沿いで語り合うシーン2(ラスト近く)

本作のラスト近く、小名木川沿いで語り合うシーンについての後編です。前編と同じくネタバレがありますので、映画をご覧いただいたらお読みください。あのシーンについて、老婦人を演じた八木愛子さんのことを中心にもう少しお伝えしたいと思います。(2020年加筆修正)

撮影風景(スタッフ撮影)
2016年秋のロケ。八木愛子(右)、伊宝田隆子(東海亮樹撮影)

目次

1.朗読家、八木愛子さんとの出会い

2.八木さんなら…!

3.一気に撮影終了

4.東京大空襲と深川

============

深川神明宮でスタッフが老婦人と出会ってから2年後、一気に撮影にこぎ着け、作品の一部となりました。その立役者が朗読家の八木愛子さんです。

八木さんのご紹介を兼ねて、約10年前の出会いの頃のことからちょっとお話します。

1.朗読家、八木愛子さんとの出会い

プロデューサーの東海亮樹とラインプロデューサーの東海明子(筆者)が八木さんに初めてお会いしたのは2009年のことでした。

私達が2008年から2015年まで運営していたカフェ&イベントスペース「そら庵」では、本作にもワンシーンとして登場する音楽ライブのほか、文学作品の朗読会なども開催していました。

朗読家である八木さんは、朗読会を主催していた武順子さんを通じて2009年2月に初めて出演。もともとは東京・駒込のご出身ですが、お住まいの静岡県藤枝市から、遠路はるばる深川にお越しいただきました。

以後、2010年にかけて合計3回ご出演いただき、深沢七郎の作品「庶民列伝」「みちのくの人形たち」「楢山節考」の朗読を披露いただきました。特に「楢山節考」はノーカットで、休憩を挟んで3時間近くの朗読に。穏やかな低音と心地よいリズムはそのままでこの大作を読了され、深い感銘を受けました。

2010年4月開催「大川端語りの会」での八木愛子さん

朗読を聞く楽しみには、作品そのものの力に加え、朗読家(語り手)の声の魅力、語り口、そしてその2つからにじみ出てくる朗読家のトータルな人間的魅力があると思いますが、八木さんはそのどれをも満たす稀有な方だと実感しました。

しかし2011年以降、諸事情で(八木さんご自身は、東日本大震災でご自宅である築300年の元武家屋敷が一時住めない状態になって活動をお休みされたため)、連絡を取り合わないままになっていました。

2.八木さんなら…!

最後にお会いしてから5年以上経った2016年のある日、私はふと八木さんのことを思い出しました。演じられる人が思いつかなかった「老婦人の役」と八木さんが結びつき、ハッとしました。

しかし5年もご無沙汰していることや藤枝在住ということ、そして決して役者さんではないことが思い浮かび、そのときは思いつきを打ち消しました。

しかしそれからまた数ヶ月経ったある日、「やっぱり八木さんに演じていただくしかない」という強い思いが湧いてきて、ようやく撮影の実現に向けて動き始めました。

何よりも有難かったのは、八木さんご自身にすぐ連絡がつき、出演をご快諾いただいたことです。お返事をいただいた後、私は藤枝のご自宅に伺い、八木さんと久しぶりお会いしました。

2016年、八木さんのご自宅にて

ご無沙汰していた数年のことや、ご活動についていろいろと伺う中、ダンスの田中泯さんが1970年代後半に設立された「身体気象研究所」に八木さんが通っていたという話になりました。そういえば以前、八木さん企画の田中さんの藤枝公演をお誘いいただいたのですが、お店をやっていた頃だったので残念ながら伺えなかったことを思い出しました。
八木さんからは、「私は俳優ではなく朗読家としてずっとやってきましたが、身体の勉強をして身体への意識を持ち続けていたので、大丈夫だと思います」というお言葉がありました。

3.一気に撮影終了

昭和27年生まれの大西監督は、ご自身のお母様がまさに東京大空襲の数日前に疎開。そのおかげで難を逃れ、いま自分が存在するという思いがあるため、「やるしかない」という強い気持ちで撮影に臨んでいただきました。

実際に70年ぶりに深川を訪れた女性と出会った助演の佐藤美佐子さんと徳久珠央さんには、改めてそのときのことを思い出してもらって脚本を作成。
撮影は隅田川から小名木川が分岐する、おなじみの場所で実施することに。

当日、八木さんは完璧でした。
さすが…とただただ感嘆するのみでした。
八木さんと川べりで言葉を交わした「紀子」役の主演、伊宝田隆子さんも、自然な演技を見せてくれました。

「老婦人」役、八木愛子(撮影:大西みつぐ)

いつもはスタッフやキャストの都合がなかなか合わず、
撮影の日取りを決めるのに毎回頭を悩ませていましたが、
「神明さま」(深川神明宮)に見守っていただいたからでしょうか、
この撮影は準備から終了まで、驚くほどスムーズに進みました。

「おばあさん」との出会いを「記録」として残すことができて、
「戦後70年の深川の一風景」を作品の中に残すことができて
本作のテーマの一つが故郷であることを再確認できて
スタッフにとって感慨深いシーンとなりました。

江東区森下五丁目の八百霊地蔵尊前

4.東京大空襲と深川

1945年3月10日未明の東京大空襲は、民間人への無差別爆撃としては史上最大の、約10万人が犠牲になったと言われていますが、本作の舞台となった江東区の深川地区(旧深川区)、砂町地区(旧城東区)は壊滅的被害を受け、焼け野原となりました。

江東区森下五丁目では800人近くの住民がお亡くなりになりました。町内の大横川べりには「八百霊(やおたま)地蔵尊」が設置されています。近年、犠牲者全員の名前を刻んだ墓碑が新たに建てられました。

本作にはそれぞれのカットが前半に出てきます(写真のように、毎年3月10日頃に町の人によって慰霊祭も行われています)。

慰霊碑や地蔵尊は、この地域のあちこちに見ることができます。東京は山の手にも大きな空襲がありましたが、徹底的に焼き尽くされたこの地域では、今も亡くなった家族を偲び、その日のことを鮮明に覚えている人達がいて、地域の歴史を語る上で東京大空襲のことは欠かせません。

余談です。私がカフェ(そら庵)をやっていたときも、3月10日にささやかな体験をしました。

東京大空襲のときに深川神明宮のそばに住んでいたという、
当時(2013年)82歳の方が、戦時中にお隣だった方とご来店になったのです。
清澄庭園まで逃げて助かったとのことでした。
(清澄庭園は延焼を免れ、多くの人を救ったそうです。)

1年に一度、3月10日に会うことにしている(あるいは他のお友達と集まりを開くことにしていて、その帰りとのお話だったかもしれません)というお二人。
お隣の方は、空襲前にお母様を亡くされたので、既に疎開していて難を逃れたとのこと。お母様がご健在だったら、一緒に連れて逃げようとして焼け死んだかもしれないとお話していました。

小名木川で紀子と老婦人が語り合うシーンは、この土地での、決して珍しくはない光景なのです。

2017年4月9日、試写会での舞台挨拶の写真を最後に掲載します。

左からプロデューサーの東海、音楽の岡野勇仁さん、八木愛子さん、伊宝田隆子さんです。

2017年4月9日、江東区古石場文化センターでの上映会舞台挨拶(スタッフ撮影)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です