【撮影エピソード8】江戸時代から続く竹問屋さんと今はなき六間堀

少しだけ「ネタバレ」がありますが、内容は竹問屋さんにまつわる歴史的なお話がほとんどで、映画の中でそのことには触れておりません。
2014年5月10日、クランクインから約1年後の春、竹問屋さんで撮影を行いました。この竹問屋さんは、かつて松尾芭蕉が住み、今は芭蕉神社や芭蕉庵史跡展望庭園のある江東区常盤1丁目にあります。私達が拠点としていた(運営していたカフェ)そら庵も同じ町内だったので、毎日のようにこの風景を見ていました。
地元では「竹屋さん」と呼ばれる伊東屋商店さんの創業は約180年前の天保年間。明治2年に日本橋からこの場所に移転したそうです。今年(2019年)で150年になるということですね。そら庵を始めて数年後にようやくそのことを知って、お江戸の風景が今もさりげなく町の中に存在していることに驚きました。

「進」役の徳久ウィリアム(撮影:大西みつぐ)

というわけで、ぜひじっくりとワンシーンを撮影させていただきたいと考え、社長さんにお願いしたところご快諾いただきました。主人公の進がしばらく働かせてもらうという設定に。
上のスチール撮影時の写真がありました。

撮影風景(撮影:中山鉄也)

スチール写真だけでなく、このシーンはカメラも大西監督が担当しました。風がちょっと強かったのですが、竹が青空に映えて、暗めの主人公と5月の明るい日差しとのコントラストも表現できて(笑)ラッキーな撮影となりました。

下の写真中央で竹の束を抱えているのが、7代目の柳川社長です。子どもの頃から産地へ通っていたという竹の目利き。敷地内には全国から集められた竹が2千本以上あります。様々な用途にこたえるため、色や太さなどが異なります。

撮影時の仕事風景(撮影:中山鉄也)

春から秋にかけては祭りや市、年末は門松、冬は垣根や造園用の竹の出荷で忙しいと伺いました。清澄庭園や六義園などの垣根にもこちらの竹が使われています。竹問屋は、都内でもわずか数軒というお話でした。

さて竹問屋さんが現在の場所に店を構えたのには理由があります。幕末の1862年に刊行された本所深川絵図(加筆あり)をご覧ください。画面下、まっすぐ東西に流れるのが小名木川。西端に「万年橋」という表記がありますが、その表記の右から上に伸びている掘割「六間堀」にご注目ください。

小名木川から六間堀に入って2つ目の橋の下に、「猿子(さるこ)ハシ」とあるのがかろうじて読めると思います。竹問屋さんの場所は、この橋の右下。水運を利用していたんですね。社長のお話では、いかだで荷降ろししていたそうです。上記のように、明治維新後に日本橋から移転されたので、残念ながら地図に記載はありません。

こちらは現在の地図です。見にくくてすみません。画面上、「深川芭蕉通り」という表記の少し左に常盤一丁目の交差点があります。ここがかつての猿子橋の位置です。私達が撮影を行ったのは、交差点の右下の一角です。交差点の左斜め上に伊東屋商店の表記がありますが、ここもお店の敷地です(いつからかは未確認)。

お向かいのビルからも撮影させていただいたので、映画では高所から竹問屋さんを俯瞰したカットがあります。

小名木川と竪川(現在の墨田区南部に小名木川と並行して作られた運河)を結ぶ六間堀は、1660年頃に開削されたという説と、もっと前から存在していた、あるいは元からあった水路だったという説があることを最近伺いました。東京大空襲のがれき処理のため、昭和25年の末頃までに埋め立てられ、今は知る人ぞ知る暗渠(あんきょ)です。かつて橋が架かっていた場所付近を歩いていると、うっすらと小高くなっているのがわかります。

六間堀についての情報は以下のサイトがびっくりするほど詳しいです。昭和22年の航空写真が掲載されています。

江戸東京旧水路ラボ本所支部 http://blog.livedoor.jp/ashibenobuyoshi/archives/cat_42544.html

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