「深川発ローカルムービー ~まちの映画を、まちの人で撮ろう」
「小名木川物語」の製作は、東京・深川(江東区)にあったイベントスペース&ブックカフェ「そら庵」を拠点として、深川で活動する有志やアーティストがスタッフ、キャストとして携わりました。2013年から2016年にかけて撮影。撮影開始から4年後の2017年春に一旦完成とし、試写会を10数回開催しました。そしてさらに手直しを行い、2019年に最終完成となりました。完成までに多くの方にご協力いただきましたが、完全な自主映画として製作しました。監督を務め、3分の2近くの撮影を行ったのは、深川で生まれ育ち、スナップ写真の第一人者である写真家の大西みつぐです。

本作はオリジナルのストーリーによる劇映画です。作品の設定は2014年。東日本大震災を福島で体験した主人公は、10年ぶりに故郷の深川に帰ってきます。10年前の悲しい記憶を抱えつつ、「川の町」に暮らす人々と再会し、自分の道を模索します。背景に描かれているのは深川の四季折々の行事と歴史。物語には、この地に住んだ俳人の松尾芭蕉と石田波郷が登場します。そして東京大空襲の悲劇についても。
スタッフのほとんどが本格的な映画製作に携わるのはこれが初めてでした。また深川のまちで実際に商店や工場を営んでいる方々に、「本人役」としてご出演いただきました。カメラの前で生き生きと演じてくださった方々に深く感謝しております。「まちの映画を、まちの人で撮ろう」というコンセプトで、あえて地元深川でのつながりや個人的な信頼関係にこだわり、演技経験を問わないキャスティングを行いました。
撮影当時に江東区の砂町在住だった主演の徳久ウィリアムは特殊発声を専門とするボイスパフォーマーとして、またもう一人の主演、墨田区出身の伊宝田隆子は美術家、身体表現者として活動していましたが、二人とも俳優は初挑戦でした。
ただ4年にわたる製作過程の中で試行錯誤を重ね、やがて当初の構想とは少し形を変え、ドラマの要素が増えた長編作品となっていったため、俳優や朗読家として長年活動してきた方にも出演いただきました。

小名木川は、隅田川と旧中川を結んで東西にまっすぐ流れる川。徳川家康が江戸入府後、最初に開拓させた人口の運河です。東北や北関東などの物資の輸送路となり、長い間重要な役割を果たしてきました。
深川は現在の江東区西側の森下、清澄白河、門前仲町辺りです。400年余りの歴史があり、時代小説の舞台にも多く取り上げられていますが、関東大震災、東京大空襲と二度の大きな災厄に見舞われ、建物や資料の大半が失われました。しかし芭蕉をはじめ、この地を行き交った人々の足跡は色濃く残り、材木問屋や漁師、職人らによって町のカラーが形成されました。
また江戸三大祭りの一つ「深川八幡祭り」など、神輿の巡幸を行う夏祭りは各町を主体として今に続き、長くこの地に住む人には、江戸以来の気質が受け継がれています。近年は、東京都現代美術館のある清澄白河エリアを中心に魅力ある個人店が増えて、散策や観光の人気スポットにもなっています。新旧さまざまな特色があるのが深川です。
本作では、小名木川以外の川もいくつか登場します。この地に住む者にとって縦横に張り巡らされた運河や橋は、日々の生活の一部であり、心の拠りどころとなっています。

本作はお披露目を行った後にも紆余曲折がありました。試写会を開催中の2017年7月、プロデューサーの東海亮樹が急病のため永眠。東海は製作の原動力でした。生前から、音声など一部の手直しを行って再公開したいと話し合っていたため、翌2018年春からスタッフが協力してリマスターの制作に着手。完成後の2018年秋から2019年にかけて再び上映会を複数回開催しました。新たに多くの方に観客となっていただき、感慨ひとしおでした。
また、2018年にはサウンドトラックCDを発売し、19年には英語字幕版を製作。2021年にはDVDとパンフレットを制作、発売しました。また初のオンライン上映を行いました。

川の流れのように時は否応なく流れ、本作のロケ地についても、今はもうない場所があります。いくつかのシーンはすでに「記録」と言えるのかもしれません。また新型コロナウィルスのため、映画にも登場する複数の行事が開催できないままとなっています。しかし「喪失」という点で、この土地では何よりも、1945年の東京大空襲で多くの痛ましい犠牲がありました。
「目には見えないけれど、確かにそこにあったもの。そこにいた人。今もなくなったわけではないもの」。
かつてはひっきりなしに大型船が通航していましたが、今はただ静かにまっすぐ流れている小名木川。この作品と出会っていただけましたら、また宜しければ再会していただけましたら幸いです。
2022年「小名木川物語」スタッフ
